〜10 11 12 13 14  15 16 17 18 19 20
[定着地問題](1)

 入所の四か月間、その研修の中で帰国者の最も関心があるのは「日本語の修得」ではない。厚生省は、このセンターを外国人向け日本語学校のモデルにと力をいれている。しかし、帰国者の思いは、希望の定着地に居住できるか、どうかである。それによって彼らの生涯の運命が決まるのだ。
 厚生省の定着地を選抜する基準は曖昧で一切不明だ。そして「分散方式」政策で定着地を決め斡旋する。そこで帰国者の多くが望む東京・首都圏に定着地は決まらない。
 その「分散」して定着させる政策は、異民族、異文化との「共生政策」の欠如。日本民族純血神話、単一民族の呪縛からの差別と偏見。また帰国者や外国人の集団化、中華街、外人街の出現と、異民族の議員、首長の増加などの危惧からもきている。
 首都圏には、定着後の生活に欠かせない福祉・厚生施設の公営住宅、小中学校の日本語クラス、職業訓練校、自立指導センター、日本語学習センター等が充実している。
 退所日が近づき定着地の斡旋が始まると、センター全体の雰囲気がガラリと変わってくる。希望地が叶わない世帯が続出し、トラブルが発生してくる。
 センターは「日本に帰れただけでも幸せに思え」、「嫌なら中国に帰れ」という職員がいる。そこで、職員に絨毯、漢方薬などの賄賂を使う者、暴言を吐き脅迫する者。青年が暴力を振い警察沙汰になる事件も出てきた。
 研修棟では、所長室と定着課から連日罵声が聞こえてくる。宿泊棟では生活が乱れてくる。日本語の復習、予習どころではなくなる。掃除はサボル。器具は壊す、粗大ゴミ漁りは急増、空き地に粗大ゴミが山積みとなる。
 そんなある日、定着地がこじれている孤児が、片手で柳刃包丁を振りかざし事務室に入ってきた。大声で定着地を叫び包丁を振り回す。彼は、前から手に負えない乱暴者と言われている。職員は宿泊棟と定着課との違いを丁寧に説明しながら、落ち着かせる以外になかった。理解したかどうか分からないが、大人しくなった彼は自転車で所長室に向かった。
 この孤児は、中国東北地方の奥地で拾われ農奴として育てられた。成人した後は馬賊となった。それ故に文盲であり凶暴な性格は仕方がなかった。家族は大人しい息子が一人。早く日本語を習得して大学に行きたいと、日夜勉強に励んでいる真面目な青年だ。
 その翌朝、その息子が割腹自殺を図った。急遽、隣接する防衛医科大学病院に搬送。幸い傷は浅く命に別状ななかった。血に塗れたシーツと蒲団を交換し「事」は済んだ。
この一家が命を賭けた事件の原因も定着地問題だ。その結末がどうなったかは分からない。
 1992年9月、私は中国の瀋陽市、吉林市、ハルピン市に視察に行った。そこで帰国を待つ孤児家庭を訪問し、孤児たちが帰国を前にどんな心境にいるのか。どんな環境で生活しているのか調査した。訪問した家庭は全て都会に在り、農村には行かなかった。
 瀋陽市。そこは大都会だが、孤児が住む居住地は郊外にあった。レンガ造りの家が長屋のように建ち並んでいる。住まいは平屋で二間の一軒屋。入ると、すぐ横にあるオンドルは寝室でもある。台所は狭く、暖かい時期は外の道端にある炊事場を使う。そこで食事もするという。
 街に住みたいが家賃が高く高根の花だ、帰国したらどうしても東京に住みたい。しかし、どんな都会なのか分からないという。
 吉林市、ハルピン市も都会だ。聞き取りした孤児はみな農村で育った農民であった。経済的な理由で街に稼ぎに出て来た。街に家族を呼びよせた孤児。そこで世帯を持ち住み着いた虎児もいた。団地に住む孤児は、百姓の時代より恵まれた生活だというが、帰国できたら田舎には住みたくない。東京に住みたいという。