山西省四方山話 4
〜10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
渋滞(1)  「橋の崩落」




 山西省の太原から北京に通じる高速道路ができる以前、唯一の幹線道路は娘子関の旧関で大行山脈を越えていた。
 この難所でよく渋滞が発生していた。ある年アメリカの衛星がこの峠付近の渋滞をキャチした。次の日も車の列は動かない、一週間も止まっている。
アメリカは炭鉱労働者のストライキであると考えていたが勘違いだった。そのうち自動車は動き出した。よくある渋滞だったという。
 そんなニュースがあった後、私たちは山西省の南部を廻った。長治〜晋城の名所や寺院など見たあと臨汾に向かった。
 まだ暑い初秋の真昼間ひたすら黄土高原を走った。広い切り通しを過ぎると道は下りとなり、しばらく行くと車の速度が落ちて渋滞が始まった。
周りは一面の畑、そんな高原で車は繋がり止まってしまった。事故があったのかまったく分からない。一時間たっても動く気配はない。対向車線を走ってくる車もない。
 中国人はのんびりしたもんで、一時間もすると車の中で昼寝をする人も出てきた。前に止まっている乗用車の家族連れは外に出て、大きなヒマワリの種を食べ始めた。
 種を干した「瓜子ル」は美味しいが生は食べたことがない、見ている私たちに「食べるか」と手の平ほどを欠いてくれた。初めて食べる味は思ったよりクセがなく、ほのかな甘味があり美味しい。
 三時間は止まっていた。ようやく動き出したがノロノロだ。陽が沈むころ翼城の県城に近づくと事故現場が見えてきた。川に架かる橋の崩落だった。土手の上は野次馬で一杯だ、村中総出で見物している様だ。
大型トラックはなんとか川を渡って行くが、小型車は渡れず浅瀬を捜して川原を右往左往している。すると運転手の梁さんは私たちに壊れた橋を歩いて渡って行くようにいう。
 曲がった欄干に掴まりながら対岸の土手に着くとすぐに梁さんの車がやってきた。あまりにも早いので聞くと、野次馬の中にいた若者にタバコを出し浅瀬を案内させたのだという。
 野次馬もダテに見物はしていない。アルバイトもいたのだ。ようやく難関を過ぎると陽も落ち暗くなってきた。急ぐ道路は工事中でガタガタ、前を行く車の砂塵で視界も悪く速度が出せない。
侯馬の県城の灯りが見えてきた頃はもう十時を過ぎていた。予定を変えてこの街に泊まることにして賓館に行くも満員。しかし近くに外国人も泊まれる飯店ができたと教えてくれた。
 そこは泊まることはできるが食事が無かった。さてどうしたものかと困っているのを知った支配人の男性が知人の食堂に案内してくれた。食堂は近かったが店の中は真っ暗。もう主も寝てしまったのか、男性はドアーを叩き大声で○○と呼んだ。すぐ店に明かりがついて夫妻なのだろう二人出てきた。カマドの火は落としてしまっていたが、快く引き受け何か作ってくれるという。
 「地獄で仏に会った」とはこの事か。1938年頃、この辺りは長い間日本軍が占領していた街だ。こんな地方にも親日家はいた。